株式会社おきたま興農舎
美味屋へ
おきたま興農舎のこと

ホーム>おきたま興農舎のこと


「大地を守る会」

 1989年、年の瀬せまる12月27日、山形県南部3市5町からなる置賜地方で、青年団や農協青年部などで青年運動を共にした友人11名で設立したのが「おきたま興農舎」。なけなしの持ち寄った総額300万円を原資として中古プレハブを改造した12坪のそまつな建物に電話・FAX各1台・ガスコンロ1台・・・それが全てでした。平均年齢40才、取引先見込み0。ただひたすらに〜このままでは農村が崩壊してしまう。何とかしなくては〜の一念が、あてのない旅の始まりでした。
 工業製品輸出の増大は農産物の大量輸入を招き、農村の食生活も激変、米余り現象は20年にも及び、農産物全般が価格落の兆候をみせていた。当然、後継者を育てる訳もなく、むしろ若い人材は都市へ、他産業へと流失していくこととなりました。
 人は減り、田畑は残り、価格は下がります。ここでお決まりの規模拡大・コスト削減路線がもてはやされることになり、狭い耕地に大型機械と化学肥料・農薬の大量投与が始まったわけです。「チッソ」や「川崎」、古くは「足尾鉱山」の悲劇を全国の農村で再現するかの如き愚挙を繰り広げたのです。
 健康な生活の源であるはずの食が、工業製品並みの粗製乱造・・・。田舎社会にかつてなかった「皮膚科」や「心療内科」が激増し、妊娠初期の流産が多発している現実を見るとき、未来への大きな危惧を覚えます。それ故に無農薬や特別栽培への転換を実現したのでした。私達は、特別な事に取り組んでいるつもりはありません。私達自身が食べたいと思う食べものを作り育て、自らも食し、消費者の皆さんにも同じものを食べていただく、そのことで、健康な生活が実感され、作物固有の味や香りに堪能していただければ本当に嬉しく思います。さらに、その思いが、一人でも多くの人に伝わった時、一人又一人と「むら」に若者が帰ってくると信じています。